自由に生きる
プロローグ
自由に生きるって結構難しいことなんだなぁって近頃は思うのです。
いつしか深く息を吸わなくなり、何も考えない時間が増えました。
自我とか個性などといった言葉を聞くたびにため息がでます。
でもそんな自分をどうかしたいとは思わない。
そんな人ってたくさんいるんじゃないかな。
自由に生きるためには?って考えるとするべきではないところまで深読みをしてしまう。
もしかしたら自由に生きるためには何も考える必要がないのかも。
もしかしたら自由に生きようなんて意識しなくてもいいのかも。
もしかしたら自由に生きる必要なんてないのかも。
第一章
いつから僕は普通になったのだろう。
でも普通って何だ?
普通の何が悪い?
何か不都合なことが起こったのか?
でも今僕は例外無く普通の人だ。
ならば自由に生きると自分で認識をするためには普通ではいけない。
僕がいま、自由を感じていないからだ。
ここで一旦普通について再定義しておく。
ぼくは普通とは何の属性も持たない平凡なことではないと思っている。つまり特別とかと対比されるものではないということだ。
「フツーにいいよ」って言うように普通というのは既に一定の基準を満たした段階だと考える。
これはジェネレーションギャップが少なからず入っているのは承知しているが新鮮味のないものだというのは間違っている。普通というのは素晴らしい。まあこれはなにからなににとって普通なのかという話になるがそれはまた書くことにして僕はこの普通を維持するだけでもかなりの努力をしている。そして僕は普通でいたくないと思う。
ふと思ったのはこの話は受験に似ているということ。
受験期になると僕は偏差値を気にするようになった。もっともっと高いところをってかなり高い学校を志望した。だが実際その学校に落ちてみると志望した前の僕とは違う僕がそこにはいる。最初は眼中にも無かったのにもうこの学校でいいやって言っている。
普通にいるってすごく居心地がいいのかもしれない。
なにも失うものが無いように感じた。
自分の限界を知らなくてすむということだ。
なんで普通でいたくないと思うのだろう。
前述した通り何一つ普通でいればマイナスなことは起こらない。
僕はみんなの生活を変えたい。僕の生活を今までクレイジーに変えてきたような人の用に。笑えるけどこれはほんとうに言っている。
そのためには普通でいちゃいけない。というより普通ではいられない。
もっと刺激的なものが欲しい。
もっとリスクが欲しい。
今日はこの辺で。
第2章に続きます。