2021.10(未完)

高校生の頃、現代文の時間に梶井基次郎檸檬を読んだ。僕はそれまでかせきさいだぁのリリックに出てくる彼の発音から「カジイモト・ジロウ」という名前だと思っていたが「カジイ・モトジロウ」だということをそこで知った。檸檬丸善檸檬を爆弾に見立て設置してみる話で有名だが、僕はこれを読んでは、京都の街のことを思った。当時僕は京都に来たことなど小学生の頃の修学旅行で金閣や二条城など回ったくらいで、よく思い出せなかったが、想像するのだ、京都、観光地ばかりの清潔な街。京都は僕にとってそういった意味で唯一の街だった。明らかに他とは異なって、特別の感があったのだ。

 

何故檸檬なのか、現代文の教師に質問したことをよく覚えている。何故、檸檬でなくてはならないのか。他にピーマンやトマト、ナスなんかも握りやすそうだが何故それらではいけないのか。アボカドの方がより爆弾みたいじゃないか。或いはアボカドは当時日本に無かったのかも知れないが。教師の答えは僕にとり実に判然としないものだった。

檸檬が丁度良いからよ“

丁度いいってなんだ、そんなの、ものの言いようというか、相対的過ぎると言うか兎に角成る程とはならなかった。決して適当に僕の質問をあしらった訳では無さそうだったが、適当な答えのように当時僕は思った。でもぼくは今、京都に来て僕がバイト中に絞った果物の中ではレモンが一番手にしっくりくることにしっかり気づいていた。ライムでもグレープフルーツでも(オレンジなんかはなかなかいい感じだが)、金柑でもなくやはりレモンが収まりが良い。

 

今年の3月。冬もまだ開けない頃、本当に久々にデートをした。デートというものを初めてしたような気がするほどにしばらくだったと思う。禁煙になった翡翠に行って珈琲を飲んだけど、そこで話していることはまるで何一つ不自由ない学生の放課後を過ごしているどこかの誰かの言葉ばかりで、話せば、話すほど僕は女の子と話すこと、というよりも僕自身について話すこと、その人について訊くことにとても飽きてしまっているように感じた。その日、彼女はごく普通の真面目な子で、僕とはかけ離れている様に思ったが、笑い上戸で、気が良く素敵な子だと思ってすぐ好きになった。だけど、僕は恋愛がわからず、この関係がどこかシュミレーションされたレールの上をただ走っているような、つまらないように感じていて、途中から話をすることも、彼女の話を聞くことも、どうでも良く感じていた。彼女は間違いなく僕にとって手に収まりの良いレモンのような子ではなく、そしてそれはこれからどれだけ時間が経っても変わらないような雰囲気で、僕は昔デートした女の子たちを思い出した。未練タラタラなんだなァ…。これまで付き合った子は素敵な子ばかりで、僕はそれに毎日ドキドキして日常のことなんてどうでも良くなって、一日中その子のことを考えたりした。その子たちは確実に僕を夢中にさせていたし、手にピッタリなレモンのようではなかったにしろ、いつかはそうなり得るような気にもさせてくれた。

それから、週に何度か彼女は僕の家に来ては、朝になって仕事へ出掛けていく。休みの日には植物編に行ったり、ドライブをしたり外へ出かけるが、どうも彼女は…違うことが僕にはよくわかった。というよりも、わかってしまった。つまり彼女はレモンなどでは無くて音のしないマラカスの先っぽの様な感じで、僕の理想の要素は彼女にはひとつもなかった。拘りというこだわりが何ひとつなく、趣味も生活も顔も声も形も変わり映えしなくって、印象がない。

正直昔から僕はこういった人種を軽蔑していた。それが、たとえ無力な自分を守るための防衛行為の反動として培われた視点であったとしても。少なくとも一緒にいる意味を感じたことは無かっただろう。きっとこの子は死ぬまで当たり障りない意見を述べ、適当な人と適当に暮らしていくのだ。そんなことを思うと僕は本当に辛くなった。彼女の悪口をつらつらと書いているうちに僕は皮がどんどん剥がれて、肉が落ちて、骨がぼろぼろになっていき、自分が壊れていく様に感じるのだ。でも、明らかに僕は壊れ始めていた。僕はそんな彼女とこれからも付き合っていくのだ。でも、それは僕一人が世界から非難されるべきことじゃ無い様に思う。それは女の子がいない生活がどんなに苦しいか、なんと不幸なことか、知っているから付き合っていくのだ。(2021.4)

 

半年が経つ。

 

でも、僕らはなかなか上手くいった。二人で誕生日を祝い、旅行に行って、時々一緒にキッチンでご飯を作りながらお酒を飲んだ。付き合ってこの半年のうちに、所謂"親しく"なったのだ。いくつかのしこりを抱えながら。

その付き合いは、僕にしては、些かアベックに過ぎた。カラオケ、イルミネーションを見に行き、紅葉で賑わう寺に並ぶ。イケアでウィンドウショッピング。イオンモール。外食。観光旅行。

僕は自分にこんな普通なデートが出来ることを知らなかった。こんなデートしてどうするんだろう、何の意味もないよ、と思っていた。資本主義・交換経済の産物。

(2021.10)(未完)