バイバイ京都!(2023.03.31未完)

気がつけば、あっという間に時は過ぎて、2023年の春になった。だって、桜が舞ってるんだもん、春なんだよね…。それが僕にとっては、チョッと信じられないくらいのことになっている。2023年、あまり実感のない響きだとしか言うことができない。いつの間に、僕はこうして実感のない年越しを繰り返すようになったのだろう。あるいはこれまでに納得して迎えた年があっただろうかとも思うが。

1週間前、京都を離れて実家に帰った。少しだけ周りを整理してそれから家族と食事をして卒業証書を見せた。あっという間に1週間が過ぎそして今日、愛知にやってきた。「どこなんだろう、ここは」というのが先ずもっての感想だった。縁もゆかりもない(そんなことには慣れている筈だが)愛知県という場所にやってきて、用意された新しい部屋に昼間からいるとなんだか、ここには旅行で来ているだけで2、3日もすれば京都の家に帰ることがもう決まっているような気さえしてきた。

僕はものすごい疲れを感じた。新しい場所に住み、新しい人と会って、新しい仕事を始めるということが意外と気力を使うことに初めて気がついた。そしてなんとなくある無気力感。忙殺されなくては、この無気力感は際限なく膨らみ、僕を蝕むことはなんとなく予想がついた。こうして少し感傷的な無気力感が襲ってくると、僕はよく昔のことを思い出す。思い出したくなるのかな。何かしらトリガーがあって、それは香りとか音楽の場合が多い。ハクモクレンとかたんぽぽとか金木犀とか。なんか昔聴いてた曲とか。今晩はくるりのワールドエンドスーパーノヴァにやられてしまった。まーありきたりだよね。でも京都を離れて、この6年間が蘇ってくる。不思議。

 

京都で最後に幸せな2年間を過ごしたと思う。なんとなく、6年いたうち、最初の4年間よりも最後の2年間の方が幸せだった気がする。それは恐らく、僕にしっかりと彼女が出来たこととか、その彼女との生活がやっぱり彩り豊かで素晴らしかったからだと思う。

彼女は京都で仕事があり、僕はこちらで仕事に就くことになりお互い落ち着くまでは離れることを決断した。この決断が、まずい気がしないわけでもなかった。僕は大事なことを忘れてやしまわないか。1年経って彼女の大切さを思い出せるかどうか。その時になって、すなわち一歩引いてみることができるようになってして初めて、客観的に正常な判断が下せるようになる可能性もあるが、今の僕の抱える不安に正面から向き合うことは(未完)