僕が京都に来て4年が経つ。一度近くで引っ越したが、それも目と鼻の先の距離だからほぼ、移動せずここにいたことになる。僕の下宿は大徳寺の裏で、高台なので夏は涼しい風が吹いたし、冬は暖房をつけても暫くはずっと息が白いままの寒い部屋だったが、それなりに温かみのある作りで、立地に別に不満もなかったし、家賃も多少大家に工面してもらって安かった。それに家の前には夜な夜な営業している活気ある居酒屋(今はコロナで早く閉まるけれど)があって何時でもすぐ飲みに行くところがあった。少し北に行くとこの辺りでは一番洒落たオーセンティックなバーがあって、近くには銭湯があった。銭湯とオーセンティックバーのはしご。北区で飲む醍醐味。大宮商店街にはよく面倒見てもらったバイク屋や食堂。バイトもこの通りでしたことがあったはずだった。この通りはとにかくよかった。たいして代わり映えのしない商店街(おっと失礼)だが、歩いていると心地が良いのだ。ちょうど良い喫茶店にちょうど良い食堂、中華があって煙草屋や電気屋、リサイクルショップ…まあ僕が一番行ったのは(今は無き)100円ローソンとビデオインアメリカくらいだろうが。

来月、ここを去ることが決まって、僕は決まって自分が過ごしたこの町を一周ぐるりと回ってみた。その土地から離れる時、僕は最後にその土地を見て回るのだ。家庭が転勤族だったので幼い頃から何度も引っ越しを経験したが、その度僕は自分の過ごした街を回っては思い出を思い出したりしてみた。その時々の思い出の精算。精算というかセーブするっていうか、アルバムにまとめちゃう、みたいな感じで保存することが僕は重要だと思う。大人になって、その場所場所へ訪れてみても、生まれるのはそれはもう今の僕のその場所に対する印象や、古い思い出を思い返して今の僕が思った感想であって、あれ、こんなことじゃ無いんだよなぁって思うけど昔のことって、曖昧なんだよね、仕方ない…。

記憶するため、色々見て街を回る。すると、ぼくはあろうことか、ちょっと悲しくなってしまった。僕はどちらかというと、何故この街に僕はいるんだろうと不思議に思うくらい、言わば宙に浮いた様な気持ちで過ごしていたのに、何時の間にかこの街並みに愛着が湧いてしまっていたようで、これではおかしな感じだと思った。でも、この通りやこの店、そうそうここで初めて市バスに乗ったんだ。この通りはよく歩いた。マジで暑過ぎて倒れそうになる日もこの坂、雨の日も雪の日も登ったんだった。この公衆電話で僕は初めて30分も話した。それから徹夜明けで朦朧として信号無視した横断歩道(orz)。バイト帰りに朝、眠くなりながら自転車を漕いで登ってくると北大路通沿いのパン屋が周りが暗いうちからパンを焼いていて、彼らの1日はこれから始まるのだ、そう考えると僕は何をしているんだろうとよく思ったものだった。特にその店には特別可愛い女の子がいて、余計嫌気がさしたものだが。色々なことがそれなりにあったんだろうが、強く思い出されるのが深夜の紫野温泉の帰りの缶ビールで僕はちょっとだけ、がっかりしたw なんかもっとあるやろー、妄想満月みたいなさ。