僕と煙草

実は、煙草について僕は文章を書くのが初めてである(今はそれについて話すことさえほぼ無い)。何故ならば、それは当然に吸うものとして喫んで初めて意味を持つ行為だと、わかっていたし何よりも僕らは初等教育の時から喫煙防止の為の教育を受けていた。その為に、健康被害については十分に理解をしていたはずだし、そうした喫煙者が煙草に関して持っている話題など喫煙による疾患を気にしているかだとか、銘柄に関するもの、吸っている間の時間の流れが違うなどといった程度のことで、語り尽くされた、その会話に何の意味があるのかわからなかったからだ。

それなのに何故、今になって(僕はしばらく禁煙をしている)煙草のことなど考えるようになってしまったのだろう。その念慮はふと、現れた。この僅かに覚えのある5月の匂いや、これからやってくる初夏のことを思って。

 

思い返してみると幼い頃から、僕はこの時期の初夏の匂いが好きだった。吸い込めば、僕の原風景には無いどこか遠い山間の田舎の風景がふと現れ(不思議なことにそこではいつまでも僕は少年なのだ)、一日中昆虫を取ったり川で遊んだりするのだ。毎年、必ずその時期はやってきて僕にその風景を想像させる。この僕が女の子達と無邪気に戯れることの出来た小学生の時も。引っ越してきてはじめての夏を迎えた中学生の時も。好きな子ができた時期も決まって、この季節だった(何故だか)。

高校になってはじめて煙草をもらった時、恐らく皆がそうである様に、僕は酷く思い悩んでいた時期だった。そしてそれは必然に、この季節だったのだ。女の子のことだとか自分のことだとか、漠然な心配事が沢山あって、この憂鬱な梅雨の塩梅と相まって感傷的な女学生のようになって煙草を一吸いした。すると、煙を透いて目の前の雑踏や、学生や、女や男が、ビル群が、現実がまじまじとみえてきて更に困った。

一息吸えばユートピアな世界を見れるんじゃあなかったのか!

たしかにそれらはこれから僕が大人になるために見なければならないものだったし、見るべきものだっただろう。でも、煙は匂って仕方がなかったし、急に見えてしまったことでいささか戸惑った。そのせいもあってそれからしばらく、煙草は引き出しに入ったままだった。

 

その夏、半分くらいが過ぎた頃、僕らはバンドを組んで練習のためにスタジオを借りた。ギターを3本持って、道玄坂の安いスタジオに気合を入れて5時間も入った。帰りに反省会をするというのが僕のバンドマンのイメージだったから、メンバーの1人が大人に見えることもあって彼を押して居酒屋に突撃した。ジントニックを頼んで。殆どスペースシャワーでやっていたバンドマンのイメージそのままに調子に乗って(普段僕は慎重深くめったに時間を忘れることなどなかったが)終電が無くなるまで盛り上がった。店を出ると、そこは渋谷で、僕は内心かなり慌てた。終電を逃したことはこれまで一度もなかったし、一体、始発までどうすれば良いのだろう。直ぐにでも風呂に入って布団で寝たかったが、歩いて帰れる距離では無かった。結局、「安く泊まれるところがある」とか特攻隊長が言って、僕は相当引いたが、ラブホテルに泊まった。男3人で。

彼は殆ど全てのするべきこと(受付や説明も)をしたせいで、すぐ寝たが、酔いが覚めて僕はとても寝れなかった。シャワーが空いて交代で入った。シャワーの下に真っ赤なシャンプーとリンスの容器があって、僕は丁寧に普段はしないリンスまでつけて髪を洗った。このシャンプーの匂いはなんていうか、女の子の匂いがして、僕は一瞬くらっとした。「このシャンプー、絶対買おう」とその時商品名を覚えたが、忘れてしまった。

シャワーから出ると一人はベットを占拠していてもう一人は床で吐きながら蹲っていた。彼の嘔吐物と女の子のシャンプーの匂いがふっと合わさって、僕は立ち尽くして絶望した。「ああ、僕は何をやってるんだろう」と」泣きたくなった。その頃、バイトもしていなかったから親の金で、遊んだ挙句男とラブホに泊まって悲惨な臭いに包まれているのだ。その時だった。ふと夏のあの原風景がぼんやりと浮かんできたのだ。でも、その時の僕の状態はそんな綺麗な風景とは遠くかけ離れすぎていた。夢など見てる場合じゃないのだ。アーァと思って寝転がりながら久々にタバコを吸った。すると自分が上から俯瞰出来たせいで、余計に惨めな気持ちになって、何度か吸い込んで、僕はすぐ火を消した。

 

僕はそれから、夏の匂いの原風景が現れると必ず煙草を吸った。するとその景色はさっと無くなって、目の前の現実が戻ってくる。僕が向き合わなくてはならない様々なことや、どうしようもない寂しさが吸えば、吸うほどに僕には感じられた。他人には解らない僕だけの気持ち。そんなことを噛み締めながら煙を吸い込んでいると、ぼーっとしてきて、気づいたら大人になっていた。僕は大学に入学して京都に引っ越した。着いて直ぐに祇園のバーで働き始めた。面接に行ってすぐ、僕はバーで働かなければいけないし、働くべきだと直感した。煙草を吸いながら面接をした店長は終わりに、一杯作ってくれた。チャイナブルーというカクテルで、それは僕の中ではどちらかというと、どこにでもあるありふれた、作られ過ぎた安いカクテルだった。スピリッツベースの小説通りのカッコいいカクテルとは、違ったが、これがカクテルか!ととても感動したのである。

僕は接客は苦手だったが思いの外、酒が好きで結局そこに4回生になるまで勤めた。そこでは、ほんとうに沢山の人に出会った。それぞれ、嵐の様にやってきては去っていく人も、此方が注意深く接しなければ崩れてしまいそうな精巧なバランス板の上に立っている様な人も。水商売というのはその名の通り、水流れの様に人の流れが激しいからそう言うんだよと何人かが僕に言ったが、実際にそうだった。あんなに近づいたのに、明くる日には遠く離れていくことがよくある。煙草を捨てた灰皿だけ残して。

彼ら彼女らは皆、そこにいる殆ど全ての人間が煙草を吸っていた。あるいは煙草を吸っていない人も居たかもしれない。しかし、よく覚えていないのだ。彼らの残り香には必ず煙草の煙の影があって、僕はそれを楽しんだ。それを記憶しているのだろう。その空間では不思議と、煙草は僕にとって普段と逆の作用をもった。現実に戻すことなどないばかりか、ステージ上に居る彼らの言葉の説得力を増した。さながら大統領の言葉の様に。ある時は、贅沢なファーが首の周りに付いている(この服をなんと呼ぶのだろう)、兎を何匹殺したら作れるか解らないような洋服を着た女の子がやってきて、僕は上着を預るときに落としそうになった。今までに触ったことのないほどの弾力と滑らかさだったからだ。彼女はそれからも、よく店に来た。金持ちな大学生だった(よく働いていたんだろう)。誰かと来ることもあったし、一人で来ることもあった。靴もいつも違ったがその上着はいつも同じだった。そして決まってグラスホッパーを頼んだ。彼女は甘い煙草を吸っていて、僕はそう思わなかったが、それと良く合うのだと言った。会計はいつも万札で小銭は要らない客だった。

仕事に慣れ、要領を得てくると次第に時間に余裕が出てくるものだ。僕はカウンターの裏で吸う煙草の本数が次第に増えていくことに気づいていた。その店は特別忙しくは無かったので、日を跨ぐといつも客足がまばらになった。朝方に近づくにつれて店もどんどんと空いていくようになっていって、そうなってくるとよく、僕は窓から、道路を見下ろした。僕と同級生くらいの、アフターのキャストがいつも何人もになって道に広がっていつまでも話していた。内容は聞こえない。でもその声はとても響いて音色として聞こえた。ドレス姿はとても綺麗で、彼女たちはそこにいるべきでは無いように思えた。

京都に来て初めての初夏がやってきて、僕はその年好きになった女の子と花火を観に行った。市内ではやってなかったから、日本海側までわざわざ見に行った。その夏も、とても暑い夏で夕方になっても僕は汗だくで、近くの屋台でビールを買って花火を見た。彼女はジーマを買ってた(チャラい…)。そのあと告白しようとしたのだが、何故かどうしても一言言えずに、沈黙してから、気づいたら100mくらい先にあるコンビニを指差してちょっと煙草を吸ってくると言っていた。ひどい。その時の煙草の煙の匂いが手に染み付いてなかなか落ちない。今でも匂いがある気がするほどだ。電車に乗って帰っている時も、帰り道駅から歩いている時も言えなくて、とうとう家の前で一言伝えた。彼女の家から帰る道、また一本吸った。最高の感情で。

 

去年の8月にインドに再び行って、2週間もしないうちにひどく身体を壊した。安宿を転々として安静のために大体寝ていたが、ある日、日が落ちてから久しぶりに外へ食事をしに行くと、乞食達に囲まれた。よくあることなので相手にしなかったが、僕がレストランに入ってもまだ、しゃがんでコッチを見ている。外は大きい道路で車が走るたびに、砂埃が舞うようなところだった。おまけに排気ガスが酷く、車のライトで照らされると、あたりは煙だらけで、それが彼らの呼吸に吸い込まれていくところがスローモーションで見えた。そんなところにいるべきじゃないよと、僕は思った。宿に帰ってからも、そのシーンが忘れられずに病み上がりの僕は、煙草に火をつけた。一吸いしてから、口から吐き出すと煙が目の前を登っていって、僕はしまった、と思った。何をやってるんだ俺は。こんなもの吸っていたって煙と灰になっているだけだ…。なにをしてるんだろう…。

 

それから一年ちかく禁煙しても、解らないことがある。端的に言えばそれは、この喪失感だ。

僕の日常の一部として、いや僕の一部としてあった煙草が消えたことによって、自分を象るピースのカケラが一つ欠けたままになっているような気がしてならないのだ。しかし、それも煙草の精神依存…と宥めていた。

今月、4月から翡翠が禁煙になったということを知らされた。翡翠は僕のお気に入りの喫茶店の一つでよく行っていた。雨の日も朝にも夜にも、授業の途中にもよく行った。だが僕はそこでどんな話を、何をしていたのかよく覚えていなかった。写真をよくとっていたのを思い出し、1年存在を忘れていたフィルムカメラの埃をはらって、一枚残っていたので部屋からの風景を適当に撮ってから現像した。中には翡翠での写真があって、僕は煙草を吸っていた。そこには、今は状況がすっかり変わってしまった友人が写っていたり、僕の好きだった本や珈琲があった。それを見て僕は僕が失っていた時間の重さをとても感じた。その失った時間はもう二度と戻ってこないのだ。では、どうしたら良いのだろう。しっかりと考えなくては「ジュポッ」(火をつける音)

*吸いませんがw