シンク・ディファレント

東京→京都 法学部生 毎日の環境学。

なんと喜ばしい感触を持ったものなのだろう。なんと生命力にあふれたものだろう。

北海道特有の、この寒〜い寒い風の感じと、マフラーの巻き方にめっちゃ田舎の駅で降りてく学生達。大体駅名の看板の下には”本場の味を サッポロビール”って書いてあって、街中セイコーマートばかり。(セイコーマートのATMだけど、旅行客にとっては使いにくすぎるよね) 北海道は海産物だけじゃなしに農作物も盛んだから全国のスーパーに行っても道産の野菜って結構並んでるけど、此処ではかなり”道産”という言葉を目にするね。”道民”も。

地方に行くと、地元の物だとか対地元民の市場が広くて旅行すると面白いけど、北海道は本州の各県に比べてもかなりローカル特権意識があるように感じます。で、これってすごい良い事なんだろうな。って思いました。ブルーハーブのCoast2 Coast2という曲にこんなリリックがあるんですが、この意味するところ、よく解っていなかった。

 

針先、ペン、P先の導き、何よりも先、信じる気になって初めて千歳で降りろ そして乗り遅れることなくそこから更に北に向かえ 一週間ほどじゃ一割もわからない、北だけが持つ奥行きの理由は 地下一階はほぼ全て間違いない、素面でも言えるぜ、時代は 近いと本拠地、平岸シエラマエストラからノストラダムス並みに裏の裏を読む ノースコースト・ラ・コーザノストラ すぐに認めることになる 俺をBOSSとな 

(COAST2COAST2 - Tha Blue Herb)

 

ブルーハーブは東京一極集中に対してだとか、出身地札幌とかについてよく謳ってる印象があるんだけれど、これに関してもきっとそれは入っていて、僕は苫小牧から東室蘭に向かう途中の室蘭本線の中。窓からはよく海が見えるんだね、海岸線にほぼ沿ってずっと函館の方まで行くんだけど。で、それは日本海側を通る路線とかと同じ(に一見すると見える)ような海なんだけどよく見ていると違うことに気づいた。で、思い出した。これは、北海道の海だ! 目を凝らせば、対岸には本州が見えてくる海だった。此処は、北で、千歳を超えてそこからさらに北に向かえば大都会があるものの、本州の東京や、大阪が、名古屋が、見えてきた。この、なんというか土地独特の感覚は地元に根付いてる人間であれば恐らく覚えたことがあるんじゃないかとさえ思う程に確信的なものだったと思う。

やはり、海がそこにはあって本土とは切り離されていて、という本土カルチャーへの疎外感。 もし、全然なかったら、スルーして。

札幌は外国人が多くてね、かなり外国語が聞こえる。市電も外人だらけ。しかし良い雰囲気なのね。北海道って自然が凄いからそうなんじゃないのかなって思うね。自然が凄いってかなりアバウトな言い方だけど。例えば京都は観光都市だと思うけど観光資源は人工物ばかりだよね。北海道に来る観光客は、人工物を見に来る人より自然的な物や場所を見にきてる人の方が多い気がする。人工物を見る以上、理解するためにはそれに関する文化知識はある程度必要だろうが、京都に来る外人は、日本の文化なんか難しくて絶対に解らない(それこそ一週間ほどじゃ一割もわからないはず)。まあもちろんそれじゃ観光都市にならないだろうから簡略化したり外人ウケしやすいカタチに落とし込んで文化を紹介してる。だから彼らは解ったような気になって帰っていくだろうけど。たまに日本人でも「偽物の文化ばかり紹介しやがって!」なんて聞くけどでも、僕は悪いのは紹介する日本人でも外国人でさえも無いと思う。文化の理解というものがそもそも彼らの旅行の目的じゃ無いだろうからだ。彼らの旅行の目的はあくまで”分かり易くて面白い日本っぽい文化”だから。彼らにとって”ありがとう”を言う時に両手を合わせるのはタイ人でも日本人でもどっちでも良いし、神社の神様の名前なんかどうでも良い。只管にお辞儀がしたいだけなのだ。逆に本当のことの理解を促せば促すだけきっと彼らは冷めていくだろう。仕方ない。そんな外国人観光客が僕たちと唯一感覚を共に出来るのが自然の力によるものだろう。超積った雪の山とか市場に並ぶ魚の色が原色の真緑だった時とか。 本物の文化を伝えることって本当はものすごく難しいことなんじゃ無いかってこの頃思うね。フランスだってワインぼんぼん輸出してるけど、あれは別にフランス文化のことなんか、日本で飲んでる人たちはほぼ理解してないだろう。格好だけ。それぞれに理解がないのは、それぞれに奥行きが乏しくなるよね、当然だけど。ワイン、スクリューキャップ回してマグカップに入れて胃に流し込むだけ。

こんなに目に見えやすい食文化でさえ、他国についてはほぼ理解がないのだから、多人種(国籍)理解だとか、そりゃあ難しいわけだよなって思う。

 

行きはJALのマイルを消化して飛行機で行ったんだけど帰りは18切符で帰ってきた。札幌から函館へ。函館から秋田へ、そして福島から東京へ。ゆっくりと、時間をかけて。帰りの電車の中ではかなり時間があるからね、暇になるだろうと思って本を持ってきた。村上春樹騎士団長殺しの下。ちょうど浦和あたりで読み終わった。特に印象に残ったのは、主人公が井戸の中から何日かぶりに救出されるときに仰向けになって雨に当たる時の文章。僕はこれに痺れてしまって、何度か本を閉じたり開いたりして読み直してしまった。

 

小さな硬い雨粒が頰と額を打つ感触があった。私はその不揃いな感触をじっくりと楽しんだ。これまで気づかなかったけれど、雨というのはなんと喜ばしい感触を持ったものなのだろう。なんと生命力にあふれたものだろう。たとえそれが冬の初めの冷ややかな雨であってもだ。

騎士団長殺し 第二部 (村上春樹)

僕はこれを読んでふと、南下する中でのこれまでの雪のそれぞれを思った。言われてみると、雨に同様雪というのはなんと喜ばしい感触を持ったものなのだろうと思った。でも、雨って、言ったのはすごい。雨って、ものすごく喜ばしい感触だよね、確かに。

これに掛けては特筆されてないけれども、この小説に関しては割に面白い文章を内田樹が書いていたので紹介しますね。 

境界線と死者たちと狐のこと