シンク・ディファレント

東京→京都 法学部生 毎日の環境学。

周囲からの影響が我に及ぼすものとは?

これ、タイミング的に僕の受験結果が芳しくなかった腹いせの記事みたいに見えるかもしれませんが、ちょっとこの考え方が僕の中にあるので書いておきます。

将来見てみて、この考え方が変わっていれば、それは面白いなと思います。そうであればそれはそれでいいなと思います。

 

僕は結構昔から環境決定論者でした。このブログでも何回か書いてきた様に。

環境決定論って、人生の失敗や成功というものは環境に支配されるという考え方のこと。(環境っていうのは不可抗力的であって物理的にどげんもこげんもならない様なことで)

この話があったのですが今日の話は「この三年間、僕、すごく周りに影響されたと思うんです。」ってやつ。

周りの人に、です。

 

僕は高校受験に失敗して偏差値でこそそれほど変わらないものの、所謂自称進学校なるレベルの一段低い学校に進学しました。そこは明らかに僕が目指していた学校とは生徒層が違っていたし(それは入学試験問題を見ても)僕は入った瞬間からバカにしていたのです。

実際入学してからしばらくは学年(450人弱)で本当にトップ、1、2位であったわけです。しかしそれは高校入学前の知識を食いつぶしてる様なもので、そのあとは(これマジで)下から1、2位とかっていう成績をとる様になっていきました。三者面談では先生に(これまたクソ先公なのですが)「大学は行くの?」とか真面目に言われてました。

言い訳ではないですけどそれはもちろん家庭学習を一年間で(つまり高校1年の春から2年の夏あたりまで)1時間程度しかやっていなかったので【一年間で1時間です】当然の成績だから焦ってませんでしたが。(その頃このブログとかでも悠長に哲学対話とか言って偉そうに語ってたと思います。)

それ、何でそこまで落ちに落ちたかっていうと俺が思うに周りの生徒の影響があったからなのです。確かにこれ、「人のせいにしてまたこれ典型的な残念っ子のパターンか」となるでしょうが、私が冷静に客観的に考え、かなり、その影響があると思ってわざわざ書いているわけです。

周りの人間が要するに典型的な「理想は高いけどバカ」だったのです。それはきっと高校受験で成功もしくは準成功してきた人が多かったからだと思うけど。(彼らの半数にとってこの高校は第一志望であった)

つまり「僕は私は東大に行きたい」つって当時の僕が驚く様なクソみたいな成績をとってるわけです。あとは授業中、クソみたいな発言するわけ。最初は、「お前らじゃ無理無理」と僕も思ってるわけですが、そういう人たちが多すぎ、そしてそれがずっと続くものだから「この成績でも東大目指せるんだ」的な謎の自信が出てくるわけ。それは全くもって勘違いなんだけど。(ここにもツッコミたい人いるだろうけど今日はそこスルーで)学校がそんななら塾で情報もらえばいいじゃんって言っても予備校は(僕はK合ね)あんまり他の生徒と交流ないんですよね。

 

そういった環境の中にいるとどうしても染められていく。少なからずそれはあった。断言。自分の物事を図る際のレベルの基準がどんどん下がっていくのです。「ああ、この程度で難関国立受かるんだ」とか「このくらいでApple入社できるんだ」とか「このくらいで頭いいんだ」とか。そもそも間違ってる彼らからその情報を得るわけだから間違ってくんですよね。それが僕の判断基準として形成されて行って気づいた時には時すでに遅し。

 

これ、残念な人に思われる方も居るかもしれませんが、そして私は実は必ずしも残念であったとは思っていませんが、この三年間で学校の友人から得た、良い影響というのは皆無です。それくらいに思っています。

 

心配性の中学生君の大好きな検索ワードモリモリなのでたどり着くかもしれませんが、そんな君にもそして僕自身にも向けて、学校外とのパイプは持っておくべきだということは大事だと思います。つまり、より広い視野を判断材料を持っておくことは大事だと思います。小並感とか言わないでね。