スナイパー、縁取ったその世界に何が見えるって言うんだ

とても需要のある記事を書きます。自分で需要あるとか開き直るとなんだか嫌な人間味が出てしまうのだけれど、みんなが思ってて再確認したいことを誰かが書く、それも同じようなことを思ってる人の目に触れるところに書くということはかなり意味がある。

先ずはmemento moriの解釈について。これは死に追われ、つまりは絶えず死を意識した行動をして後悔のないようにしよ、というもの。つまりのつまりは明日死ぬかもしれないから何もしないで死ぬのはもったいない、だから何か今日やっておこう、というわけではないということ。これを言いたい。
色々理由があるのです。でも強いて言っておくべきなのは、明日死ぬかもしれないからなにかをどうかしようと思ってもそれは不可能なことであり、いや、そういう思想を持とうというだけのことだよ。と君は言うかもしれないがそんな妄想は持つだけ無駄であるのでは。

僕なんかこの頃生きてる気がしてないってほど疲弊しているけど、そんな状態がふっと明日、変わるんじゃないかなんて思いはしないし、(それがもし魔法によってそうなるのであっても望みもしないが)
なんというか難しい話でそんなことも考えれないくらい疲弊していまして( )


こういう状態に陥る時に限って、まあ限ったわけじゃあないが、ひとつのことを考えてそれに対してコンプレックスだったり、それを考えてネガティブな1日が始まる、みたいなことが続く。

そういったことで悩むというのは案外楽しいし、例えば過去に今の自分がこう考えることがないような道も選べたのに(つまりはこのことで悩まないという選択肢があったわけであるから)自分がこの選択肢を選んで此処にいるというのは感慨深い。(好きで選んだ選択肢では無論無いし選択肢といっても選べた道はそう多くはないという…)