シンク・ディファレント

東京→京都 法学部生 毎日の環境学。

認知バイアスについて

今日、茂木さんが言っていたことにとても興味深い物があったので少し取り上げてみる。

認知バイアスという言葉だ。この言葉だが僕は全く知らなかったので調べてみた。

すると言葉こそ知らなかったものの、その症状(症状というのかどうかさえわからぬが)というか状態の事は良く知っていた。

様々な認知バイアスがあるらしいがその一つに保守性というものがあるらしい。
人間が新しい事実に直面した際に、それまで持っていた知識や感覚に固執して、その考えを徐々にしか変化させられない傾向。

とあるわけだが、これは殆どの人がそうではないのかと思う。

また、これはWikipediaからの情報であったが他のサイトもみていると僕はかなりこういったバイアスに支配されているんだということを思い知った。

色々な話に脱線できそうな話題だが最初に感じたのはこれは面白いなということ。

こうして殆どの人が知らない(こう思うこともバイアス)バイアスというものを議論することで自分がバイアスに支配されてはいない、所謂特別な存在に思えて来る。(これもバイアス)こうやって、バイアスの連鎖になっていくところが面白い。

こう調べていくと更に自分はこうではないと落ち度にハマるわけだが冷静に見るとこれ以上にないだろというくらいバイアスにはまっている。


いい例として今まで人を愚か愚かと騒ぎ立ててきたわけだがこのバイアスとやらの定義でいくと他の人もまた同じようなことを考えていたということだ。ここでそんなことは無い筈だ。僕は高宗なことをな事を言っていたといってしまう。これもまた一つの認知的失敗であろう。


ただ他の人からみて、こいつはバイアスに支配されているなと勘付かれる奴と上手く付き合ってるなって思われる人ってのはいる。実際僕がどちらかと言うことはお察しの通りなのだが。


こういうことを言ってると自分を過大評価することはまるでいけないことのように聞こえて来るがそうではないと考える。


僕は自分のことを過大評価することはいいことだと思ってる。過大評価の評価と言うのは他人からされるものだが自分で信じてるレベルの自分を紹介して他人に過大だと言われてもなんの…というか関係ない。

こんな言葉があるくらいだからやはり人に流されてはいけないと改めて感じる。

人のせいで自分のレベルを下げてはいけない。

基準は不変だ。そしてそうあるべきだ。