THANK YOU MY GIRL

文章を書くことで助かっていると誰かが僕に言ったが、それはそうかもしれない。友人と話していても、或いはアルバイトや勉強をしていても、とにかく何をしていても鬱屈とした気持ちの中で泳ぎつづけている。息継ぎのない潜水遠泳。いつまでもこのままでは、やがて腐ってはしまうが、僕は動かずにいる。軽やかに、頬をパチンと叩いて“よし、やるぞ”と奮い立たせることも、かといって怠けることも出来ない。いつまでも続く水泳の時間。プールサイドでコーチが叫んでいる。もう一周、もう一周!終わることのない一週間単位の生活。

夜になって久しぶりに上木屋町の軽いバーに行った。バーテンは変わっていた。世代交代。若い、僕と同じくらいの年の好青年だった。前に居た彼はどうしたのかと訊くと、ここで働いてると品川のバーの名刺を渡された。品川。そこがどんな様子の街だったかさっぱり思い出せなかった。一体どこの世界の話をしているんだろう、巨大な遊園地で一人迷ってしまったような気持ちになった。乗りたいアトラクションも、帰ってすることもないのだから迷う必要などないのに。ベンチに腰掛けて園内を駆ける子供や、夜になれば遠くの空で打ち上げられる花火を一日中眺めていれば良いのだ。でも、確かに僕は時間に追われていた。一人座ってぼーっと一日中過ごすことなんてよもや気が急いて出来ないだろう。時の流れ、なんと当たり前でなんと不思議なことなんだろう、と思った。大体何故気が急くというのだ。僕は、大学に入学してからこの店に来ては、よくそんなことを考えた。そうしている間に僕の周りには沢山の人の抜け殻の様なものが広がっていって、僕はそれを一つ一つ丁寧に収集した(少なくとも、したつもりだった)。僕の収集した標本箱の中の抜け殻は時が止まっていた。そこでは誰もがまともで、若かった。でも僕が20才になって高野悦子が通り過ぎて行った。今度は樺美智子が通り過ぎて行った。時は流れ続ける。定刻通りに品川駅を列車が発着する様に。数年おきにこの店のバーテンダーが次々と変わっていく様に。生活の流れ。緻密に計算されたダイヤ。その中を僕はずっと水中で遠泳をしている。“これに遅れてはならない”と呼吸をする度にプールサイドで誰かが言っているのが聞こえる。フェンス越しに女の子が居た。制服の女の子。それは中学の時のクラスの子だった。そしてその声は彼女のものだった。彼女は今どこで何をしているんだろう、抜け殻の彼女。大学に行ってるかもしれないし、働いてるかもしれない、或いは結婚をしていても不思議じゃない。”遅れてはならない“?何に遅れて、何に遅れてしまうというのだろう。僕の頭の中では宮沢賢治の告別が流れていた。気がする。

けれどもいまごろちょうどおまえの年ごろで
おまえの素質と力をもっているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあいだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけずられたり
自分でそれをなくすのだ

 宮沢賢治 告別

5、6杯飲んだところで一気に気分が悪くなった。電話が来れば取るし、電話が来なければひたすら待つ。定時に退社してスーパーで食材を買って簡単なものを作る。あとは食べて、寝るだけ。東京のワーキングプアの特集がテレビで流れた。それはまるで僕の生活そのものだった。くたびれた生活。それを見ながら、気がつけばバーテンにくだをまいていた。これでは本当にテレビの通りだった。彼は酒を丁寧に作ってはいたけれど、センスも悪くなかった。世代交代だってそれほど悪い話ではないのかも知れない。コロナウイルスと、それからザゼンの話を少しした。いつになったら次のアルバムを出すんだろう。もしかしたらスランプなのかもしれない。スランプ。彼は音楽の世界で20年近く売れ続けているのだ。物事には波がある。山あり谷あり。向井が遠くで“躁状態”と叫んだ。鬱状態躁状態鬱状態

僕はそれから鬱で北海道に帰った友人のことを想った。もうダメだといい、今年の春突然に大学を休学して彼は京都から居なくなった。そう決めてから彼は僕の話を殆ど聞かなくなった。ことあるたびに自分を蔑んでそれからこの状況はキャピタリズムのせいだと言った。鬱って一体どんなものなんだろう、僕だってもう既にダメだと言いたかった。僕だってかなりしんどいが、毎日やってるじゃないか。これで泣いていいんですよと誰か大統領が言えばすぐに桶が僕の涙でいっぱいになってしまうだろう。泣いて、酒を飲んで何も考えずに眠れたらどんなにいいんだろう。だけどしっかりと二日酔いは忘れずにやってくる。アセトアルデヒドのせいで頭の中がグラングランして、一層の無気力感が襲ってくる。だけどこの際これはある種のクスリと思おう。感覚を麻痺させる薬。大体二日酔いなくしてこんな情けない文章を書ける奴がいるんだろうか。

普段こんなことは思わないから、一言かけてあげたい。そう、俺、お前はよくやってるよ。それを伝える為に、僕は文章を書いている。そして確かにこれで幾分助かるのだ。