印度にて#1

今年の夏休みも、僕はインドに来ていて南インド、つまりブバネーシュワルやビシャーカパトナムからさらに南に、ヴィジャヤワダという街があって、一泊した後こうしてハイデラバードに向かう列車の中にいる。これまでで最長の日程で組んだインドの旅はすでに1週目で修羅場を迎えていた。昨年コルカタでドミトリーが一緒になって仲良くなった友人に会いにアッサムに飛ぶところから今回の旅行は始まったわけだが、その家では家族皆完全な菜食主義者であったから(珍しい事でもないが)滞在中3,4日毎食ご馳走になったわけだが全てベジタリアン料理であった。こんなに沢山の家庭のベジタリアン料理を食べたのは初めてでバリエーションの豊かさと、しかしそれら全てに共通するスパイス感に飽きが来ないように楽しんでいた。やはり彼らが長いことにわたり食べているだけあって、スパイスというのは味わって食べてみると非常に複雑な味わいがあって面白い。発酵食品に似たような広がりがあるものまである様子。中国の昆明に住む友人宅に行った時もそうであったが、ある程度裕福な彼らは日本の裕福な層の食生活と比べて非常に健康志向で、すなわち質素な食事を日常的にしているようなイメージがある。

しかしインド人の味覚の謎は深いね。例えば彼らは結構な品数の料理にケチャップを入れているかディップするかするし、何を食っても(僕は案外辛い食べ物も食べられる方だがそれでも)相当に辛い。毎食カレー風味のソースとパンかご飯が基本である。その味付けで毎日よく飽きがこないなあと感心するものの、単に馬鹿舌なのではないかとさえ思う時がある。しかし殊日本食に関しても醤油ベースの味付けが大半であることを鑑みると案外、僕が慣れていないだけで現地人にしてみれば疑問すら抱かないようなことなのかもしれないね。 

とにかく僕には毎日カレーという食生活が耐えられずに、しんどく思う事が多いから今回は味噌汁やインスタントラーメンを持参したが、既に大半食べてしまい残りを見ると憂鬱になる。絶対に足りない。幸い現代インドでは外資系のチェーンファストフード店などがかなりあるからインド料理が食べたくない時はそういったところへ行けば良いから助かる。どれもインド風の味付けだが。

アッサムの首都ゴウハティ市に彼の家はあったが、彼らは予想していたよりも遥かに裕福な暮らしをしていて、町で一番か二番に高いマンションの高層階からは街全体が見渡せた。そこから見るとゴウハティは山に囲まれていて、高い建築物がとても少なくまるで京都のようだと思った。聞くと彼の父親は運送会社の社長だそうだがそのマンションには24時間入り口に警備員が沢山いるし、床は大理石のようだし何よりもその家には召使がいた。僕は住み込みで使える使用人がインドには居ると知ってはいたが、流石だと驚いていた。彼は今僕と同い年だが、2歳の頃からその召使いとは一緒にいるそうだ。家族のようだが、家族ではない関係が新鮮で興味があったがその事についてはあまり話さなかった。 

 やはり父親はかなりしっかりとした人物で、この父にしてこの子ありといった印象だった。穏やかな喋り方と身なりもキマっていたが観光地に一緒に行った時に「写真を撮ってくれ」と言われたので撮っていると、ムービーで撮りながらカメラに向かって歩いて来るという謎の拘りがあるそうで一気に不安になった。でも親子で楽しそうだったのでよかった。

3日目には日本から一緒に来ていた友人が高熱と風邪のような症状で寝込んでしまい、僕らは2人で観光をする事になったが、美術館で前衛的な絵を見ていた時にいきなり僕は頭がとても痛くなってしまい、家に帰って熱を測ると40度近く有ったので結局僕もその日はずっと寝ていた。それは彼にとっても夏休み最後の日で、色々な観光名所をプランニングしてくれていた。だから彼はかなり(露骨に)残念そうにしていたので悪いなあと思ったが、夕方になっても症状は悪化するばかりでどうしようもなかったので、夜になって起き上がれるようになってからベランダで彼のお兄さんと3人でギターを弾きながら歌った。僕からはさよならCOLOR翼をくださいを歌って、これが大ウケした。一緒に歌ってくれた。僕はこの夏前からヒンディー語を勉強していて、漸く読み書きが出来る程になったのだがやはり彼らの日本語の発音を聞いているととても上手い。日本語とヒンディー語はかなり発音が似ているように思う。日本語に反り舌とか同音の有気無気とかの差は無いけど。

そのあと彼らもヒンディー語の歌を歌ってくれた。とてもスムーズで美しいメロディーで”Life is changing every moment, sometimes there is sunshine”というサビの良い曲だった。

その後日本人の友人は限界だといって日本へ帰国したので僕はそれから一人で旅を続ける事になった。それはそれで仕方がない事だし、別れをいって薬だけ分けてもらった。しかし日本語が喋れる仲間が居なくなったのは精神衛生上よくは無いと思う。日本語を使ってないとなんだか気が滅入る時がある。こちらで話すのは英語だし、この辺りはオリヤー語かタミル語なので、勉強してない僕は全く訳が分からない。その中でも「英語を見つけた時にちょっと落ち着く」みたいなことってあったけど、ヒンディー語を見つけた時にちょっと落ち着く感が最近ある。読めるから。地図で地名が読めるのは大きいと感じる。

地図といえば、インドはIT大国であると言われる。現にインターネット回線は結構な僻地でも通じるし街中では国旗よりもAirtel4Gという広告をよく見る程だ。それ故にインドで旅行をする為にはインターネット回線がほぼ必須だと思う。僕はアナログな旅をしたいと思っている方だが、技術進歩によってある程度利用すべきものは時代を経て変わってきている筈だ。ネットを契約しない旅の方がむしろ高くつくと僕はみている。 

 昔であれば勿論インターネットなど無くひとたび駅に着けばリキシャのおじさんたちに囲まれ、値段交渉をし、ホテルの近くまで行っても正確な場所がわからずに道の人に聞き回る、なんてことをしたのかも知れないがそれは現代では日本人むけのアトラクションに成り下がり、必然の選択肢では無いように思う。つまりインターネット回線により地図が把握できて、タクシーは定額でUberなどで呼び、クレジット決済をした方が安いし早いし正確で疲れないからである。Uberに限らずともバスの路線など非常にわかりにくい事が多いがマップでそれらも確認した上で行動した方がミスが少ない。そうした意味でネットによってインド旅行のハードルはどんどん低くなっているのかも知れないね。

 

兎にも角にも先ずもって僕が言いたいのは、人間であることを忘れた人間は怖いということである。日本は超潔癖社会で全体主義の元、規律が重要で享楽追及に長けている印象がないこともない。しかし子供が実験のために与えられた知育玩具を白い部屋で並べているように、クリーンルームで積み木遊びするのが例え楽しかったとしてもそれが一体人間として正しいことかどうか、分からないね。エアコンのちょうどよくかかった高層ビルで高い洋服とブランドバッグで出勤し雨や風が吹いただけで気にする化粧と髪型とほんの少しの体臭や汚れも見落とさない目線の中に仕事終わりに近くのレストランで鶏料理を食べている鶏の屠殺から顔を背ける女と男のデートがあったとてそれが日本社会で人間的(文化的)であり僕らが目指す生活なのであればそれに対する信念が揺らがないでもない。僕はインドに行けばこっちの人と同じことをしてるだけで高熱の風邪をひき、同じ水を飲んだら下痢になって目の前で生き物殺して食ってる訳で、乞食や物乞いや、真っ黒の肌でガリガリ生ゴミを漁ってるお婆さんや、一日中裸足で道路工事でセメントを溶かしては流す仕事をしているおじいさんや、一日中ドアを開けては閉めるだけが仕事の少年や、牛と犬と鼠とゴミだらけで汚い床に寝てる少年のような体格の爺さんと同じ人間であるということは、きっと忘れちゃ、ダメだね。 

 現代日本に住んでいると恰も僕らはまるで人間ではないもっと完璧な存在であるように錯覚する事がある(その代わりに精神に起因する人間の不完璧さは大好きだけど)。動物的な側面を削いでいって、その先に何が残ったのかと考えるとまさに今の日本の有様であるように思う。人間であることを忘れた傲慢さが更に傲慢な態度を生み出している。僕が思うに、主に若年層でやはり「自分たちは今日を享受しているだけだからなぁ」という傍観的傲慢な観念がある気がする。確かに日本は水道が飲めて送電技術は最高で下水もしっかりしてて治安は良くて生活は概ね安定していて概ね法治されていて世界的に見れば素晴らしくない国であるという人はいないだろうが、やはり高度に整備された社会に所以する社会無関心、さらにそれから派生するナショナリズムの喪失という傲慢は、如何なものかと思う。

あくまで考え方に関するものだが、日本では主に人が死ぬと墓に埋葬される。しかしインド(ヒンドゥー教)の人は死ぬと火葬の後、灰は川へ流される。この二つの違いも上述した思想に影響しているのではないだろうか。やはり自然から生まれたのだから自然へ返るという考え方。僕はこれまで死んだら自然に返るとか還りたいとか、そう思った事すら無かったから。でも、川に流されるのも悪くはないかも。とも思う。