シンク・ディファレント

東京→京都 法学部生 毎日の環境学。

美しいグラスについて

「この店の中でも、全部に意味があるんや?完璧なものばかり揃えていても、駄目。中には引き立て役があるし、それぞれの役割っちゅうもんがあるわ。例えば、これなんかは」とマスターは言ってグラスを手に取った。ロックグラス。
「これはいちばんのお気に入り。HOYA。いちばんデザインがいい。完璧。これと(と言って同じ模様のチェイサー用のグラスを手にとる)ウイスキーロックなんか、出されたら、失神するわ」


僕にはね、ハッキリ言ってそのグラスの素晴らしさが、今ひとつ分からなかった。確かによくカットが入っていて、質感も良くHOYAの技術とデザインセンスの良さはわかるけれど、如何してこれが、完璧なのか。
この話を聞く前から、僕はグラスについては、好きだった。特にバカラリーデルのグラスカットや装飾毛のない薄いグラスが好みだった。
このロックグラスはというと、下三分の一程に小さな菱形のカットが入っている。その上に一本線が引いてあり、楕円形に削ぎ取られるようにカットされた面が全体についている。
そこには、思惟するに彼自身の憧れと思い出が刻まれてる筈だ。今40、50代ぐらいのバーテンダーであれば、このグラスには気づくと思うとも彼は言った。当時、この保谷のグラスはそれほどまでに人気なものだったという。彼が、二十年前だか、その当時に見た、グラスのカットに反射する光の角度。これはいつまでも忘れられずに自分の中に大切に入り込んでしまうものであることも、僕は知っている。
「完璧なもんばっか揃えてる店ってあるやろ。思い当たりあるだろう。俺は、そういうのは、気づいてしまうんや」とも言った。
これには僕も思い当たる節があった。京都で言うと名前を出さずともわかってしまうような書き方になるが、銀座から来たある支店のバーなんかは、グラスが、全てバカラかカガミの高級クラスだ。これらは、とても素晴らしいよ。だけれどもそれらのグラスが並んでいるのを前にして、思いを馳せる余地が存在しない。こんなにも寂しいことが、あるだろうか。と、僕は気づいたのである。そこに生まれる会話とは、ああバカラのローハンやらエトナやら。歳をとらないと、僕には解らないな。


それから、僕はそのカットされたグラスをよく見てみた。すると、これがとても美しかったことに気が付いた。これは、ものすごく綺麗なんだね。引き込まれていきそうな格を備えている。ところで、グラスには、魔法があるように思うよ。とても美人な女性がいようが、グラスがイマイチでは釣り合わないね。これは、全くそうであって、そこには、美人を形成するに最終的にパーツとして必要になってくる筈の上品さであり妖艶さが有るからだと思う。
という、僭越ながら仕事中に思ったグラスの話でした。