シンク・ディファレント

東京→京都 法学部生 毎日の環境学。

学問を深めることの意義とは

心の牢獄に囚われている。

これは精神が心の抑圧で思惟を妨げているといった意味ではなく、看守は時間そのものだとする見方である。

ショーシャンクの空に作中のレッドの台詞にはこういったものがある。

「最初の夜が一番つらい。素っ裸であるかされる。肌は消毒薬で痛む。独房に入り鉄格子が閉められた時ー 現実だと気づく。 今までの人生を失い、際限のない時との葛藤が始まる。新入りは正気を失い、誰かが泣き始める。誰が最初に泣き始めるか。これは面白い賭けだ。」

 

無期懲役囚というのは仮釈を除き規則的には天命を全うするまで檻の中で余生を過ごす。そこでは終わりなき時が流れ始め、自分の意志行動により塀の中へいったん入ってしまえば誰にでもあり得る。もっともアンディのように自分の意思行動とは関係なく入り込んでしまうこともあるが。

心の牢獄の一つの側面はこれによく似ている。余生を時が過ぎることと隣り合わせに捉え、言ってみれば如何に時間を消費するかと考えるの囚人であるのに対し、心の牢獄に囚われ行動を余生を時間を過ごすために起こす人間は重なって見える。

 

一見して時の消費の為に生きることは辛いことのように思うがそうではない人間と比べて悩みの種が異なっていることだけは明らかである。前者は前提条件として人生における目的が時の消費となってしまっている為にその中でどれだけ苦痛を感じることなく生きるかを考える。その目的下には苦痛に過ごさないことに意義はないし、少しでも苦痛があればそれはマイナスである。目的が余生の消化にない場合、苦痛が生じることは時に意義となりえるし、苦痛こそが、死と対面することが、学問を深め真理を知り苦痛を感じることが意味のある事の場合もある。

物事、正しいこととそうではないことがあって、それらの見極めは非常に難しい。