Go with the flow

日々の何の変哲も無いと言われる毎日を有意義に送れ言われても、趣味に没頭したり、偉そうに哲学書を読んでみたり、レゲエかけながら風呂に入ったりとそんなことをしてしまいがちだが、今の僕は家の中にいるという選択はしないのではないかなんて思う。

家っていうのは不思議なもので、なんだか外界から遮断されたシェルターみたいな言葉が当てはまりそうなくらいだ。これを語ると同時に無視してはならないのは文化、特に国と国の文化の差であろう。今年僕は初めて海外に行ったけれど、あれほど日本に文化的影響をもたらしていたアメリカでさえ家のあり方というのは僕ら日本人が普段持っている考えとは異なっていた。

家庭によって様々であると思うが、僕がホームステイした家は玄関に上がっても靴を脱がない。寝室までも靴で行って寝るときだけベットの上では脱ぐ。みたいな。とても外界との隔たりを感じない。履き替える必要もなく外にぱっと、飛び出していける。

ここで日本ではそんな家は少ないよね、ということを言いたいのだが考えてみると日本は日本で縁側という西洋風に言えばベランダみたいなものがある。廊下になっているからベランダとは違うかもしれないともふと思うのだが。



今日はこの、家というものについて考えてみよう。誰しもが考えるべき、いや、強意をもって考えなくてはいけないものなんじゃあないだろうか。


家に纏わる話として斬っても離せないものとして家族という存在があるわけだが、家族というのは少し冷静に考えてみると冷静に考えてみると不思議な、というか他のあらゆる物と一線を画する存在である。家族によって、自分中心にこの世界は回っていないのだ と知り、家族によって他人との境界線が見えてきたりすることもある。自分が養ってもらっている立場であれば、渦巻く気持ちが家族に芽生え、歌を作りたくなるだろうし逆であってもそんなことがありそうだ。


家という、外界からいわば遮断された、陣地にそんなにも複雑な関係があるなんてそれもまた不思議な事ですね。(映画監督とかは家族の関係を単純だと表すのかも知れないけれど。)


最初の話に戻って、日々を有意義に過ごすためには。という話をする。

外に出る。空気がいいところに行くか、空の曇ったところに行くのかはその時の気分で。

それから音楽を聴く。良い音質で集中して聴くのもいいし、誰かの子供の野球の試合をみながら軽くbgmとして片耳で聴くのもいい。

選曲は至極大事である。言語はなんだっていい。気分でチョイスする。その時に若いj-popのロッカー達を馬鹿にしたりk-popのハングルの歌詞カードを見て笑うなんてことはしなくたっていい。

売れているシンガーにしろストリートのおじさんにしろメロディーに乗せて言葉を作っているわけだからそう、有り触れた、それでいてあまり自分が使わない言葉を思い出させてくれる。それってすごい楽しいです。


それでいて誰にも縛られていない、自由な存在であるという普段自分が馬鹿にしている役を担当してみる。そのためにはとびきり辛いソースを飲んでみたり、冬一番の日に冷たい空気を肺の奥まで吸い込んだ時に感じるオイル臭さを一人笑って認めた時に生まれる感情である。


そして僕が思うに、最も大事なことは、人に失望せず、自然に任せるということです。

go with the flow です。これはAdrian Monkの言葉ですが座右の銘にしたいくらい偉大な言葉です。

そんな風に、満員電車の中では自分の座右の銘となるべき語を発掘するのは如何でしょうか。