I wanna be Leland Stottlemeyer

この頃見過ぎているドラマなので必然的にこの話題にはなるのだが、Mr.monkに出てくるリーランドという警部が出てくるんだけどその人をシリーズ通して見てて、ああ自由に生きてるなあと

ドラマだからそりゃ自由も何もそういう台本でしょと思うかも知れないけれどはっきり言ってドラマ以外でも人は自分たちの台本通り動いているんだから原理は一緒でしょ。

彼の生き様の何処が憧れるものかって自分のしたい仕事、命をかけれる友人、刺激的な毎日…なんてあげていくとキリがないけれど。
どれも僕らの多くには無いもので、欲しいけれどドラマだから、映画だからと言ってなんというか空白の部分なわけだ。

それを妥協と言わずに何を偉そうに妥協するなと言っているんだという感じがしてきたらそれはかなりハングリーな印かもしれない。

ともかく何もかも置いておいて行動するとすると、なんていう例えは意味がある場合もあるけれど今回は無い。

何もかも置いて人は実際に行動できないわけだから自分の理想のプランを立てるときは今の自分から繋げていく必要がある。
性格だってもう僕は持っているし人種だってあるし生まれた境遇だって変えられない。
明日からレゲエをかけながらベーコンエッグと食パンで朝食を一生とっていくなんて不可能なわけで(笑)

そうやって自分の理想のプランを立てるときに自分の現状を考慮した時、理想のプランが本当の理想ではなくなってしまう僕のような人にはなにか刺激薬が必要だ。刺激役かもしれはいが