シンク・ディファレント

東京→京都 法学部生 毎日の環境学。

それもまた僕にとって真実

久々の更新です。

 

こうチカチカと点滅する棒(入力するとこに出るやつ)を見ると、やっぱり自分が描きたい時に描くことが好ましいものがブログであり本であり作文だと思ったりします。

 

 

この頃日を重ねる毎にスティーブジョブズが凄く(偉大に/高い/的なニュアンス)に思えてきています。僕がその状態に苛立ちと空虚な気持ちを抱いていることが確かです。

 

 

何故なら日を重ねる毎にたいしたこと無いと思えるのが普通でありそうあるべきであるからです。

 

 

視点の変換を意識して見ると。

 

もし僕がスティーブだとして

 

自分になれないと言っている奴がいるとする。

 

そうしたらその人はなれないと思うだろうか。僕に。僕は。

 

 

答えはNOだ。僕は僕になれる奴がいると思うだろう。

 

 

少し話が宙に舞ったけど何故スティーブが偉大に見えてくるのかということに話を戻すと。

 

僕は自分が使っているものの原理を知らないとうずうずする。自分が作ってもいないものを偉そうに紹介できないししたくもない。iPhoneの裏技を披露されるのも頭に来るし披露する自分にも頭に来る。Appleを偉そうに語る奴にも頭が来るしSONYはすごい技術を持っている…とかぬかす奴にも頭が来る。

すごい冷静に見た末、考えると人はこう言うだろう。嫉妬とか妬みだろう。と。

 

でもそうじゃない。僕は仕組みも知らないAndroidを馬鹿にしたりiOSは神だとかいうのは愚かだと思う。CPUの中身を知らないのにパソコンに触る奴は愚かだと思う。本当にそうだ。キーボードがどうやって情報を本体に送っているか。Wiiのリモコンはなんでワイヤレスで飛ぶのか。携帯はなんで電話出来るの。本当に何も何も知らない。耐えられない位、愚かだ。

 

 

そんなのは専門家が知っておけばいいとか好きな人が見ればいい…とかは違う。威張ってる奴が愚かなんじゃない。触ってるやつ全てが愚かだ。

電車の中でスマホをいじってる人はほぼ全員だ。なんか虚しくなる。僕もその一員なんだって。何も知らない愚かな人間なんだって。提供する側ではなくて何億人もいる中の一人なんだって。

 

ここで皆が言いたくなることは、多分、じゃあスマホを自分で作れっていうのか。ということ。

 

でもそうじゃない。どうしたらいいのかわからないけどそうじゃない。ただ言えるのは他の人と差別化をすることが大事なのではなく、自分を確立させることだ。(お気に入りの言葉で言えば、自我の確立)

これは他の人と違う、要するにアブノーマルになるということじゃない。結果的にそうなるだろうが目的が違う。目的はそうじゃない。

そもそも自我って人から見えない。見える(見える人には)のは意思と志だ。でもそれらは自我っていうOSの上で動くソフトのようなものだ。ここで言いたいのは自我が土台になっているとかそういうことではなくて、OSとアプリがやりとりをするように自我と意思と志がお互いにキャッチボールをしているということだ。

 

意思は意図して持つものであって、無意識には持てない。そして持てないべきだ。

 

 

ここで思い出すのは

 

ほとんどの人々は馬鹿であり、ほとんどの権威は悪意に満ちており、神は存在せず、何もかもが間違っている。

 

というテッドネルソンの語録だ。

 

15歳と辞書を引いたら載ってそうな言葉だがあながち僕のいま言いたいことと似ている。

 

 

最後に。これからどうしようということ。

 

このままいくと僕はスティーブを崇拝する対象にしてしまう。そんなことは絶対に避けたい。たいしたことないと思えるように。

 

学校の宿題の作文位、綺麗事を書くとすると、明日からは〜していきます。だろうがあんなに阿呆な反省文はない。

 

 

僕は明日も変わらないだろう。変わりたい変わりたくない云々の話ではなく変われないだろう。ネガティブに思ってるのではなく自分は変われないんだ…と開き直ってるわけでもない。人は簡単に変われない…と開き直ってるわけでもまたない。

 

ただ人は変われないんだ。

 

 

スティーブが偉大に見えてくる。

 

それを嫌だと思う。

 

そんな僕がいること。

 

 

それもまた僕にとって真実。